代償 乱馬はこの日、夢を見ていた。 夢の中で、ある男が立っているのは見えていたが、顔立ちなどは一切わからなかった。 男は、乱馬に向かってこう言った。 「お前は、何か一つ願いが叶うとしたら、何を願うのだ?」 「俺は・・・女に変身する体質がなくなりゃ・・・」 「わかった。叶えてやろう。ただし、それなりに代償は頂くがな。」 その途端、乱馬は目を覚ました。 まだ時間は午前四時。しかし、再び眠る気にはならなかった。 「まいったな、こんな時間に起きちまうなんて・・・しかし、妙な夢だったな。」 乱馬は夢の内容をはっきりと覚えていた。そして、おもむろに池に飛び込んでみた。 意外にも、何も変化はなかった。 「お、女にならねえ・・・」 乱馬は驚いていた。 夢の内容は本当だったのか。しかし、乱馬はあの男の最後の言葉を思い出した。 それなりの代償・・・一体、どんな代償を払ってしまったのであろうか。 体の動きは変わらない。体力面に変化はなく、精神面もどこかおかしくなった風には思わなかった。 「一体、代償って何の事だったんだ・・・?」 乱馬は、何も分からないまま朝を迎えていた。 だが、それからと言う日々、何か物足りないような気がしていた。 「ねえ乱馬君。最近あかねに何かしたの?」 なびきが急に聞いた。 「べ、別に何もしてねーけど・・・?」 「そう?あかねを泣かせちゃだめだからね、もう・・・」 なびきはそれを言うと、乱馬から去った。 乱馬は身に覚えのない事に、少々戸惑っていた。 「俺が・・・一体あかねに何をしたんだ?」 乱馬は、あかねの部屋に入った。 あかねは宿題を解いているようであったが、乱馬に気付いてはいないようだった。 「あかね・・・」 その声に慌てたように振り向くあかね。 「あ、あのさ・・・なびきに聞いたんだけどよ。俺、あかねに何かしちまったのか?」 「乱馬・・・気付いていないの?」 あかねはもの言いた気に乱馬を見ていた。 「・・・?何がだ?」 「乱馬・・・呪いが解けてから何か変よ!自分でわかってないの?」 あかねに言われても、乱馬は少しも自分の変化に気付いていなかった。 「あのな、俺は今までの嫌な体質から抜けだせた以外、何も変わっちゃいねーよ。」 「でも・・・急に私に対してよそよそしくなって・・・ちっとも私に話し掛けて来ないじゃない。」 「そうか?・・・そういや、ちっとも気にしてなかったな。」 「いつもいつも私に文句ばかり言って来た癖に、一体何があったのよ。」 「なんだろうな・・・なんかあかねが視界に入らねえと言うか・・・」 乱馬ははっとした。 「もしかして、これが、代償?」 「・・・代償って?」 「何日か前に、夢を見たんだよ。なんか、願いを叶えるとかって。俺はただ、女を直したいって言っただけなんだけどよ、 そしたらそれなりの代償をって言われて・・・そうか、そういう事だったのか・・・」 「・・・代償が私への悪口が言えなくなる事だったの?」 乱馬はがくっと崩れた。 「そうじゃなくて・・・あかねに興味がなくなったんだ。」 「そう・・・じゃあ、もう許嫁なんて必要無いのね。」 「・・・そう、なっちまうな。」 「じゃあ、お父さんに伝えてくるね・・・」 あかねは静かに部屋を出た。 乱馬は、考えていた。 このままでいいのだろうか。今までの記憶が少しずつ思い出されていく。 自分はあかねの何だったのか、自分にとってあかねは何だったのか、その記憶が・・・ いや、今まで忘れていた訳じゃない。だが、それは自分の勝手の為に失われてしまった事なのだ。 「俺は・・・知らなかったからって、自分の為にあかねを捨てちまったのか・・・?」 乱馬の心に、失われたものが蘇ろうとしていた。 それと同時に、数日振りに聞いた、あの男の声が聞こえた。 「やめろ。それを呼び起こしてしまったら、お前の忌わしい体質が蘇ってしまうのだぞ。」 「構わねえよ、俺は、自分の為に好きな女を捨てる程腐っちゃいねーんだ!」 乱馬は姿の見えない男がいると思われる方向を睨んだ。 「ほ、本当にいいのだな。この機会を失えばお前は多分一生・・・」 「うっせぇっ!てめえなんかに説教される筋合いはねえっ!」 乱馬は怒鳴り散らすと、男の声はもう聞こえなくなっていた。 その時、部屋の戸が開いた。 「乱馬・・・一体何があったの?」 「いや・・・ただ、元通りになっただけだ。」 「じゃあ、水を被ったらまた女になっちゃうの?」 「・・・そうだな。」 「ばか・・・なんでそうまでして私の事なんか・・・」 「俺は・・・約束は守るから、な・・・けどよ、おめーが嫌なら、別に断ってもいいんだぜ。」 「ずるいわよ・・・それじゃ、私、断れないじゃないの・・・」 あかねは、少しずつ乱馬に近付いた。 「で、でもよ・・・ほんと、無理しなくていいんだからさ・・・」 乱馬は少しづつ下がった。 「乱馬・・・ありがとう。」 あかねは優しく、乱馬に語りかけた。 乱馬はあらためてあかねを見た。その表情には間違いなく、至福が表れていた。 「俺は・・・ただ、直すなら自力で直したいと思っただけでぃっ。」 「強がらなくていいのに、乱馬・・・」 あかねはその普段の乱馬を見る事ができ、微笑みは絶えなかった。 翌日。 「ねえ、乱馬・・・頑張って料理作ったんだけど食べてくれる?」 「・・・やっぱずっと忘れちまってた方がよかったかも。」 終わり。